支援される人から支援する人へ
就労継続支援事業A型という事業をご存知ですか?「作業所」という言葉の方が馴染みがあるかもしれません。一般企業での就労を目指す障がいのある方を従業員として雇用し、作業所での業務を通じて知識や能力を伸ばし、一般企業へ就労する為の支援を行う障がい福祉事業です。
この作業所に通う障がい者は、施設の利用者でもあると同時に従業員として給料も支払われます。創業3年目となるいまここテラス(株式会社いま・ここ:枚方市)は、就労継続支援A型事業として約80名の障がい者を雇用しています。このいまここテラスで支援員として勤務する西尾 奈緒美さん(45)は、なんと1年前までは利用者としてサポートを受ける側でした。
うつ病を患い20年の闘病生活を経て、現在は自身の経験を活かし支援員として活躍される西尾さん。いまここテラスでも稀有な存在として注目される西尾さんにお話を伺ってきました。
― いまここテラスへ通われる利用者さんの8割がうつ病や統合失調症などの精神疾患。西尾さんがうつ病になられた頃のお話を聞かせていただけますか。
『一人目の子供が生まれた、23歳のころ、仕事帰りにふらつきを感じました。当時、内科で自律神経失調症と診断され、抗不安剤を処方されました。その後、自覚症状がなく自分では全く気付いていなかったのですが、主人が異変に気付きます。そんな主人の勧めもあって、心療内科を受診し「うつ病」と診断されました。30歳の時です。離婚、再婚、子育てと仕事の両立などの精神的・肉体的な負担からうつ病を発症していたのだと今振り返って思います。うつ病と診断されても自覚は持てなかったのですが、処方された薬を飲むうちに「自分は病気なんだ・・」と思うようになりました。』
― 医師の「うつ病」という診断、薬を服用することで、「自分はうつ病なんだ」ということを受け入れる事になり闘病生活が始まったんですね。闘病期間中は、何が一番辛かったですか?
『不安や焦り、イライラする気持ちを周りに理解してもらえなかった事です。うつ病と診断され、「仕事ができない」「自分は心の病なんだ」と焦る気持ちがどんどん強くなりました。また、薬の副作用でイライラが増すのに、周りからは「気持ちの問題でしょ?」と理解をしてもらえません。この気持ちをどこへぶつけていいのか分からず、リストカットを繰り返し、症状がどんどん悪化していったように思います。15年近く、働くことをあきらめていました。』
― 「働きたいのに働けない」と一度は諦めていた西尾さんを変えたのは何だったのですか?
『うつ病の交流会で出会ったボランティアの方の言葉が大きかったです。「自分の人生、自分で決めていいんだよ。」この言葉で、自分のスイッチが入ったと思います。”障がい者だからこう生きないといけない”という答えはない。選択肢は一つではないんだという事に気づきました。そして、自己責任で好きなことをしていいんだと思うようになりました。必要のない薬は飲まなくてもいいと思い始め、薬を飲まなくなりました。また、何かを変えていきたいという思いが強くなり、「まずは外に出る訓練をしよう!」という気持ちで、いまここテラスへ通い始めました。』
― 「自分はうつ病、障がい者」に囚われない自由な生き方があるという事に気づかれたのですね。約1年の間、一般就労を目指す利用者として通われた後、いまここテラスの利用者の方を指導する支援員になろうと思われた時のお気持ちを教えてください。
『私は、約20年うつ病と闘ってきました。そんな時に出会ったボランティアの方の言葉で、「病気にとらわれない自由な生き方」があるという事に気付かせてもらいました。そして、少しずつ病気に対する考えが変わり、うつ病を乗り越えられたのだと思います。うつ病を乗り越えた今、「私にも乗り越えられたのだから、みんなも乗り越えられる」という強い思いがあります。私にとって、ボランティアの方との出会いがそうだったように、みんなの病気を乗り越えるきっかけや、希望になりたいと思うようになり、支援員になろうと思いました。』
『もともと利用者として支援を受けていた自分が、同じ施設で支援員にはなれないと思っていたので、他のA型就労支援施設を探していました。そんな時、「何でこの施設から離れるの?ここで支援員になってくれたらいいんじゃないの?」と社長から言われました。社長は、どんな利用者に対しても障がい者としてではなく、一社員として接してくれます。良いことだけを言うのではなく、時には厳しいことも言ってくれます。そんな社長の分け隔てなく接する姿が、自分の目指す支援員像と合っていると思い、他のA型就労支援施設の面接を受けていたのを断り、改めていまここテラスでの面接を私からお願いしました。』
― 支援される側を経験されて、「こんな支援員でありたい!」という思いをしっかり持っていらっしゃるのですね。うつ病と20年闘ってこられた経験を持つ西尾さんだからこそ、利用者さんに提供できるサービスがあるのだと、社長も期待をされていると思います。20年の闘病生活の経験を活かし、自分自身で可能性を切り拓いて見つけた支援員という仕事。支援員としてのやりがいとは、どんなところにありますか?
『自分次第で、支援員として利用者さんとどこまでも関わりを深めることができる事が、やりがいに繋がる仕事だと思います。支援員として、何もかもお膳立てする過保護さは必要ないと思っています。利用者の立場で通っていたとき、どんな時でも優しい言葉をかけてくれる支援員さんもいました。でも、本音ではぶつかれなかったと思います。厳しい言葉をかけてくれる支援員さんには、本気で将来への不安な思いをぶつけることができました。』
『自分自身が利用者の立場を経験したからこそ、優しさだけではなく厳しさが必要だと感じています。そして、私には、「自分はこうだったよ。」と語れる経験があります。利用者さんにかける厳しい言葉に、経験者だからこその重みがあるのだと思います。時には嫌われ役になりながらも、本心で向き合う。そして、時には厳しく時には優しく、寄り添う心でとことん向き合い続け、新たな道が拓けた時に、この仕事をやっていて良かったと心から思います。』
― 支援員としての厳しさの必要性を、ご自身の経験を持って感じておられるのですね。支援員としてどう対応し、どれだけ深く関わるのかを、自分の責任で決められる仕事だと思います。だからこそ、とことん利用者さんと向き合い、時には家族のように厳しい言葉も掛ける。そして利用者さんへ自分の思いが伝わった時や一般就労が決まった時の達成感は大きいのでしょうね。今後は支援の仕事を通じて、社会にどんな貢献をしていきたいですか?
『自分と同じ経験をする人が、減ればいいと思っています。特に、薬に頼らないでほしいと思います。自分の闘病経験を通じて、薬があったからではなく、「自分の人生を自分で決めていい」という気づきが、支援員としての道に繋がったのだと思っています。自分の人生に多くの選択肢があるという事に気付き、病気であることにとらわれず、少しずつ前進する事が大事だという事に気づいてほしいのです。』
『今でも、「障がい者支援って何?」と自分自身に問いかける日々です。私たちに利用者さんを助けることはできません。立ちあがるのは本人だからです。その立ち上がるお手伝いをするのが、私たち支援員の役目だと思っています。一人ひとり、立ち上がり方、目標も違う中、それぞれにどう寄り添い、どう成長に繋げていくのがいいのか、日々考えています。』
― 最後に。西尾さんにとっての「仕事」とは何ですか?
『自分の居場所。生きる目的です。必要とされていて、一緒に働く仲間がいます。そして、なによりも「自分の経験を活かせる場所」だからこそ、今の仕事が「私の居場所」と感じられます。』
「自分の居場所」と答えた時の西尾さんのきらきらとした表情が印象的でした。20年の闘病生活という経験を活かし、やりがいのある人生へと変えたのは西尾さん自身です。自己定義が変わった事で、西尾さんの可能性は大きく広がりました。そして西尾さんの行動が変わり、今後の人生がやりがいのある人生へと変わったのだと思います。
「自分自身が何者であるか」を定義するのは、自分自身。過去の経験をどう活かすのか。そして、自分の人生の可能性を広げるのも自分自身であるということを、インタビューを通じて感じました。ご協力ありがとうございました。
editor:礒田 翼
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西尾 奈緒美 様
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社労士 礒田 翼(いそだ つばさ)